湯治初体験(追補)

JUGEMテーマ:温泉

 

5/1から5/8まで相棒のミニと湯治することになりました。

 

 

23年前にある事故で右足首を複雑骨折して以来、脚のトラブルには少なからず泣かされてきており、長時間歩行したり、突っ立ていると右足がびっこになります。仕事で長時間立つような場合はサポーターをしますが、翌日はまず起き上がることができなくなります。特にゲーム業界で働いていた2005年代までは非常に大変で、ラスベガスのCOMDEX(これは通信機器業界)や東京ゲームショーのブースプロデュース、コンピュータ関連展示会等では一日中突っ立ってないとならず、私にとっては地獄に等しい仕事でした。高校時代に北海道をチャリンコで一周したり、高校・大学と体育会系山岳部に所属したあと、社会人最初の配属先が長野市で(2年間住んだあと、東京に上京)、2年間は長野の社会人山岳会(グループ・ド・モレーヌ)に在籍し、上京後は東京の山岳会に所属して、登山やスキー等のアウトドアをしてきましたが、この怪我が原因でインドアに転向し、ちょうどDVD普及黎明期のホームシアターを趣味にし始めたのが2001年です。

 

先々月から母の遺品整理から始まった家の片付けは、途中シアタールームの構築も含め拡大し、いまだ終了していません。そうこうしているうちに何がきっかけか両膝に激痛がし、遂には杖をつかねば歩けないほどになりました。整形外科へ行ったものの、骨には異常なし、湿布を処方されましたが快方しません。ここ5年来通っている整体の先生によると、下半身の血行不良や老廃物が溜まっているのが原因と診断されました。実際先生の治療のおかげで杖からは解放されましたが、痛みは相変わらずあり、膝を曲げたり屈伸することができません。特に右膝が痛みます。右足を庇っていたためか、今度は左足親指の爪が割れ化膿してくる始末です。痛くて靴が履けなくなりました。

 

4/28の夜に家を出てから、この時期の異常な暑さで旅先の渋滞中の市街地でミニが半エンコ状態に陥ったものの大事にはならず、セブンイレブンで休憩中にミニの縁でこのひなびた温泉地を知ることができました。往時は新婚旅行のメッカでもあり、温泉客でごった返したという往来も今は人影がまばら。昭和50年代ぐらいに開通したトンネルによって、国道から外れたこの地はまるで陸上の鎖国のような状態となり、今は「秘湯」とよばれるぐらいにさびれにさびれています。お土産物屋なし、食堂なし、コンビニなし、床屋なし、銀行なし、交番なし、病院なし、都市機能の一切がないないないずくしの江戸時代の鎖国のようなところです。しかし、日本で一二箇所しかないある温泉成分を持つ源泉があります。他は一切何もありません。当然ながら、バスが止まるようになった近隣の大規模温泉街に客を奪われたものの、同じような運命にあった末、ゴーストタウン化したO温泉(午後数時間しか開かない共同浴場しかない)に比べ、まだ生存しているだけましだったのかもしれません。なぜ生存できたかというと、その確かな効能ある泉質の源泉をかかえているからです。

 

さびれているとは、このネット時代、ここの泉質の良さを知ってか、県内外からここを訪れる人は跡を絶たないようです。時折、街中を写真を撮っている都会からきた観光客を見かけます。週末にでもなるとそういう人ばかりですが、平日は往来を人間が歩いていません。いわゆる、知るひとぞ知る秘湯となっている場所故、このブログでも敢えて名前や場所は伏せています。また年間でここに来てもいいのは4月〜6月にかけての3ヶ月間だけで、あとはぼられるだけか、冬季で道路凍結のリスクやタイヤを履き替えてまで来る価値はありません。

 

故・高倉健さんも90年代前半にここに湯治に来ており(これはあとでデマだと分かります)、たまたま私が泊まっている旅館がその健さんが泊まった旅館の真正面にあり、まるで健さんに導かれてここまできたような気がします(ちょうど「野生の証明」をみたばかりだからね)。それに今月か来月に通常一般人には公開しない映画スタジオ(調布にある角川スタジオ)を見学することになっており、どうも映画とのご縁でこちらに導かれたような気がします。

 

 

 

今回は少し療養に専念したいと持っています。ですのでいつものブログ記事更新は1ヶ月間お休みします(この温泉地のあとにもまだ何箇所か寄ってから帰宅しますので)。

 

 

追記) 

 

大女将の話によると、高倉健は

 

「映画のロケに来た」

「2階の窓から覗くシーンを撮影」

「女将さんの娘と友達の女学生が和服を着てエキストラ出演をした」

 

という証言をされています。それ故、上記に書いた「湯治に(1ヶ月ほど)逗留した」というのはデマであることがほぼ確実になりました。それではどの映画のロケなのかということですが、ご当地のフィルムコミッションセンターのデータベースを調べたところ、高倉健がロケでここを訪れた形跡は発見できず、何か証拠がないか調べたところ、アサヒグラフで19●●年にここで歓待されたという写真記事がありました。

 

19●●年の出演作となると、●●●監督の「●●●●●●●」(高倉健主演)の可能性が高いと思われます。しかし、wiki等で調べてもロケ地までは言及されていません。そこで調査範囲を拡大し、個人のブログまで調査してみると、でてきました。ある家族がこの温泉地に宿泊したことをブログに記事にしており、そこに以下の写真が貼ってあり、これでほぼはっきりしたと思います。

 

高倉健がロケをした温泉地のある旅館の内部で撮られた写真。中央上にあるポスターは高倉健のサイン入り

映画ポスター。衣装を着た高倉健の左横に立っているのが監督の市川崑。その下の写真が高倉健とその旅館

の女将のツーショット

 

しかし、地元の多数の人に聞きましたが、こういったことをはっきり覚えている人が当事者含めもういないんですよね。30年近く前のことですから仕方ないといえば仕方ないのかもしれません。

 

追々記 5/3)

 

私が泊まっている旅館の若女将と大女将と話しをしたのだが、若女将によると娘さん達がエキストラ出演したのは、別の映画であることが判明。○○○○を題材にした映画「○○○○、○○○」(19▲■年)で時期は近い。また高倉健がロケに利用した旅館は昨年ご主人が亡くなって以来、営業されておらず今の言葉で言うと「廃屋」化しており、その子供が映画産業に携わる人で○▲出身ということまで分かった。おそらくその人が制作会社か何か経営していて、その縁で高倉健を自分の実家に連れてたのであろう。親孝行な息子である。しかしその息子はその旅館を継いだ訳ではないので、本当の親孝行かは本人に会って話をきいてみないとわからないだろう。ちなみに昨夜衛星放送でその映画が放送されていて、若女将が見てたんだって!偶然は偶然を呼び込むとはよく言ったものである。

 

追々々記 5/6)

 

次回は6/25 - 6/29にここに泊まることにしました(が、大女将に予約した翌日に旅館の主デスラー総統閣下に断られ、次回は明治の文豪が逗留したはす向かいの旅館に変更。)。今度はこの温泉地に逗留した明治の文豪についてまとめたいと思います。ワンちゃんもOKの旅館なので、ワンちゃんも連れて行きます(一泊700円)。また髪の毛ボサボサで行きますから消滅都市の床屋マスターさん、よろしくね。それと峠の狼さん、今度は一緒に峠を攻めましょう!昼間ね。もちサツがいないところね。