「ゲームで変わる社会」を読んで

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本日の朝日朝刊の13面、オピニオン&フォーラム「ゲームで変わる社会」を読んで感じたこと、思い出したことを記録しておく。

 

私のゲームとの本格的なつきあいの始まりはPlaystationのバイオハザード2からで、そのとき受けた衝撃がその後外資系のゲーム半導体メーカー(一般的にはグラフィックス半導体メーカーとして知られていた)で働き始め、転籍したCPUメーカー含め約8年間、過酷な労働環境を逆に楽しく働いてきたモチベーションになっていた。

 

半導体メーカーで働き始めた当時は、現在19歳になる長男は生まれたばかりで、子供にゲームを禁止する世相が一般的ではあったが、「親が楽しんでやっていることを子供に禁止することは不自然」との考えから、子供の求めに応じてゲームはハードもソフトも欲しいものは買い与えていた。

 

長男もその後生まれた次男(現在15歳)も幼稚園の頃から他の遊びと同様にゲームに接していたし、最新のゲーム機が複数台揃っていて、家の中でLAN通信対戦ができる家だったことから、長男が友達らを呼び、ゲーム遊びをする溜まり場にもなっていた。

 

ただし、これでいいのかという問いは、ゲームをまったくやらない家内から、当然ながら起こり、そして私自身もゲームに興じて心身に影響はないのかという疑問というか恐れがあった。私は外資系半導体メーカーで働く前に通信機器メーカーで約11年間働いており、そのとき極度の過労によるストレスアウトで入院している。

 

当時、「ゲーム脳」なる理論(現状エセ科学と評価されている)を日大教授が喧伝し始めた時期でもあり、自分も趣味はゲームですというぐらいゲームをやり、子供達にも自由にゲームを許している環境はどうなんだろうか、という疑問が湧いてきたのである。

 

そのとき、ある2冊の本と出会い、自分の不安を氷解してくれた。

 

 

浜村弘一氏は老舗ゲーム雑誌「ファミ通」の編集長(当時)で、「ゲームばっかりしてなさい。」は自身と子供たちとのゲームを媒介とした親子関係を綴った本で、精神科医の香山リカ氏の「テレビゲームと癒し」は自身を含むゲームによる精神的な癒しについての体験記である。

 

この2冊の本を読んでから、ある意味安心感を覚え、特に自分自身にも子供達にも外圧に負けてゲームを忌避するようなことはしなかった。しかし、家内は今でもそうだがゲームには否定的である。

 

その後、私は両親の介護のため職を変え、第2の人生を早めに始め、ゲーム関連の仕事とは無縁になった。一昨年、母親の介護と看取りを終えて、11年間にわたった第2の人生もこの7月に終了させることにした。現在第3の人生を迎えるために就職活動中である。しかし、仕事や環境が変わろうが、プレイ時間の多寡はあれど、ずっとゲームに興じてきた。

 

長男は縁あってキリスト教牧師を養成する新潟の高校に進み、三年間寮生として新潟に単身住んだ。高校卒業後の進路として京都のプロテスタント系大学の推薦入学の可能性もあり、家内と京都まで学校見学に行ったが、結局新宿の4年制ゲーム専門学校に入学した。現在2年生であり、なんと今まで1日も学校を休んでいない。しかも自腹で秋葉原のプログラミングスクールまで通い卒業した。新潟の高校に在籍中の3年間の寮生活は、携帯、スマホ、パソコン、ゲーム機禁止の学校だった。唯一許されたのはウォークマンだけである。彼の場合は3年間まるっきりゲームとは無縁の生活をした。代わりに麻雀を覚えたようで、雀卓を持って帰ってきた。今は公私公認のゲーム三昧。

 

次男は小学校6年生のある時期から学校へ行かなくなり、現在中学3年生。その間何をやっていたかというと、傍目からは「モンスター・ストライク」とYouTubeであろう。しかし、最近目覚めた。それについては別記事に書いた。今、調理師を養成する高校(同時にN高校に入学)に願書をだしたばかりである。ゲームは趣味と割り切っている。

 

これだけ親子ともどもそれぞれの人生でゲームに費やしてきた時間は膨大であるのに、新聞で書いてあるところの「廃人」になったという自覚はない。

 

ある分野に人生の時間の一部または全部を没頭させてしまうのが「廃人」なのならば、私から見れば、スポーツ選手は皆、「廃人」なのではないか? 金になれば、それによって生活ができれば、「廃人」と謗(そし)られないですむのか?

 

今、e-sportsというものが世界的に勃興しているが、その選手たちはおそらく「廃人」とは呼ばれてないだろう。しかし、彼らも金を稼げなければ、周りから「廃人」と呼ばれたと思う。

 

 

 

 

私は個人的にはゲームは遊びであり、それに規範を絡めて競技化するのには反発を覚える。中川大地さんと同じ意見である。e-sportsは競技者も主催者も金と名誉欲がからんでおり、純粋な遊びとは次元が異なる。

 

遊びすら金や名誉欲に結びつけようとする卑しい考えにはついていけない。登山(ボルダリング含むクライミング)やスケボーなんかもそうだが、競技化したことにより、遊びの本質が歪められていると感じるがどうだろうか。遊びは遊びのままでいい。